ほんの数年前には想像もしていなかった世界が私たちの目の前に広がっています。

この「今を生き抜く英単語」シリーズは、私たちの考え方や生き方の転換が起こっている今、それでもこの世界を生き抜いていけるようなメッセージを、英単語を切り口に、さまざまな分野で活躍する著者から発信していただきます。

Mount

5、6年ぐらい前からか、「相手より優位に立つ」「相手を威圧する」というような意味で「マウンティング」や「マウントをとる」という言い方が使われるのをよく耳にするようになった。もとになった mount や mounting には、動物が交尾のときに異性の上に乗るという意味があり、それが比喩めいた形で転用されたというか、和製英語に近い形で一気に普及したと思われるが、使うときはくれぐれも注意が必要だろう。

『ダ・ヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン、角川文庫)の冒頭に、主人公のロバート・ラングドン教授がフランス司法警察の車でパリ市内を案内される場面がある。車中でラングドンが前作『天使と悪魔』のヒロイン、ヴィットリアのことを懐かしく思い出していたとき、司法警察のコレ警部補が突然声をかけてくる。

“Did you mount her?” the agent asked, looking over.

Langdon glanced up, certain he had misunderstood. “I beg your pardon?”

“She is lovely, no?” The agent motioned through the windshield toward the Eiffel Tower. “Have you mounted her?”

Langdon rolled his eyes. “No, I haven’t climbed the tower.”

「彼女と寝たか」というきわどい質問が来たので、ラングドンは自分の妄想を見抜かれたのかと勘ちがいするが、警部補はエッフェル塔を her と呼んでいた、という場面だ。ダブルミーニングによる楽しい誤解を描いた場面だが、まさか「彼女にのぼる」と訳すわけにもいかないので、ここでは最後の climb を「のぼる」とし、mount は以下のように処理した。

「あっちのほうは体験済みですか」コレがこちらを見て尋ねた。

ラングドンは顔をあげた。何か聞き誤ったにちがいない。「はい?」

「すばらしいでしょう?」コレはフロントガラス越しにエッフェル塔を指し示した。「もう体験しました?」

ラングドンは目玉をくるりと動かした。「いえ、まだのぼっていません」

Peak out

mount からの連想で、この1年余り、コロナ禍の感染状況の話になるたびによく耳にする「ピークアウト」についても、ひとこと。先日、ツイッターのアンケート機能を使って、この語を「ピークに完全に達する」「ピークから抜け出す」のどちらの意味で使っているかを尋ねたところ、前者が約3割、後者が7割だった(回答者は1,000人程度)。わたしの周囲には翻訳や語学に強い関心を持つ人が多く、それでこの結果だから、世間一般では前者が2割、後者が8割ぐらいと考えて差し支えがないだろう。

英語で動詞 peak に副詞 out がついても、「ピークに達する」という動詞を強調しているだけなので、意味は「ピークに完全に達する」にしかならない。一方、日本語で名詞「ピーク」に「アウト」(出る)がつくと、「ピークから抜け出す」に感じられるというからくりも非常によくわかる。

「マウンティング」も「ピークアウト」も、和製英語が生まれる典型的なプロセスによって生まれた(正確には、意味が転じた)ことばだと言えるだろう。わかりにくくまぎらわしいカタカナをわざわざ使うくらいなら、「優位に立つ」「自慢する」と言ったり、「頭打ち」「下り坂」「峠を越した」などと使い分けたりすればいいのに、とよく思う。