今を生き抜く英単語 #3 野中モモ Privilege
2020年の初頭には想像もしていなかった世界が私たちの目の前に広がっています。
この「今を生き抜く英単語」シリーズは、私たちの考え方や生き方の転換が起こっている今、それでもこの世界を生き抜いていけるようなメッセージを、英単語を切り口に、さまざまな分野で活躍する著者から発信していただきます。
Privilege
これは主にアメリカとイギリスの文化や流行を日本から眺めての雑感だが、2010年代以降、「社会を変えたい」という想い、もっと言えば「今変えないとヤバい」という切迫した危機感に突き動かされた社会運動が、年々勢いを増しているように感じられる。こうした運動の現場で目立つのは、少子高齢化が進みどんな場面においても若者世代の声が通りにくい日本とは異なり、現在10代から30代の人々だ。ミレニアル世代あるいはジェネレーションY、それに続くジェネレーションZと呼ばれる世代である。
黒人に対する人種差別の撤廃を訴えるブラック・ライヴズ・マター(Black Lives Matter)運動は、2020年5月、米ミネソタ州ミネアポリスで黒人男性ジョージ・フロイドさんが警察官に拘束された末に死亡した事件をきっかけに、過去に例のない大きな盛り上がりを見せている。テレビや新聞・雑誌などの大きなメディアを通さない、ネットを利用した個人による情報発信の一般化は、社会的に弱い立場にある人々の声が集まって大きなうねりになる現象を劇的に促進させた。性差別が現在もなお未解決の深刻な問題であることもより広く認知されるようになり、それに伴ってフェミニストを自称する人も増えた。2018年の秋に当時15歳だったスウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんがはじめた「気候変動のための学校ストライキ」は世界に広がり、環境保護は喫緊の課題として広く意識されるようになった。
こうした社会問題を論じる際に頻出する言葉が “Privilege” である。日本語ではたいてい「特権」と訳されているが、それが指し示すところがすんなりとは理解されにくい場面が多々あるのではないかと思う。たとえば「特権階級」というと、日本では王族や貴族、富裕層、大企業の経営者一族などを連想する人が多いのではないだろうか。しかし、今英語で「己のPrivilegeを自覚せよ」と言う時、「Privilegeを持つ者」として想定されているのは、特別に恵まれている少数の人々だけとは限らない。むしろこの社会において「普通」とされる状態にあるマジョリティの人々がいかに優遇されているか、すなわち特権を持っているかを指摘していることが多いのだ。つまり現行の社会システムは、「白人」で「男性」で「異性愛者」で「健常者」で、痩せすぎでも太り過ぎでもなく、子どもでもなく年老いてもおらず、貧困状態にもないような人々を基準に設計されており、そうでない人々はさまざまな不利益を被っている。そこで誰にとっても暮らしやすい社会を築くためには、もっとマイノリティの意見に耳を傾けなければならない。たとえば「右利き」も特権のひとつと言えるだろうし、日本社会においてある人のルーツや見た目のイメージが「日本人」と広く認められる状態であることは特権だ。
たいていの場合、幾つかの面で恵まれている人間も、別の面ではそうではないものだ。しかし、文字が読める、そしてインターネットにアクセスできるという時点で、グローバルな視点で見れば特権を持つ側に入ることは間違いない。「あなたは特権を持っている」と指摘されると驚いてしまうかもしれないが、そこで否定したり、「どちらが恵まれているか/いないか」を競いはじめたりするのではなく、より弱い立場にある人々の経験を想像することが求められている。それはどんな情報を摂取し、何を買うか(または買わないか)といったあなたの日々の選択に影響を与えるだろう。このように世の中に蔓延する構造的な差別や不正を解消するために自分の特権を使うという発想が、国際社会を生きていくにあたって欠かせないものとなっていくはずだ。
翻訳者・ライター
著書に『野中モモの「ZINE」 小さなわたしのメディアを作る』(晶文社)、『デヴィッド・ボウイ 変幻するカルト・スター』(筑摩書房)。訳書にレイチェル・イグノトフスキー『世界を変えた50人の女性科学者たち』(創元社)、ロクサーヌ・ゲイ『飢える私』(亜紀書房)など。