今を生き抜く英単語 #5 松村圭一郎 social distance
ほんの数年前には想像もしていなかった世界が私たちの目の前に広がっています。
この「今を生き抜く英単語」シリーズは、私たちの考え方や生き方の転換が起こっている今、それでもこの世界を生き抜いていけるようなメッセージを、英単語を切り口に、さまざまな分野で活躍する著者から発信していただきます。
social distance
新型コロナウイルスは、感染症という「病気」だけをもたらしたわけではない。これまで一般的にはあまり使われなかった、いくつもの外国由来の言葉を日常生活に定着させた。あらたな語彙の習得は、ぼくらのあたりまえの身体感覚までもずらし、変化させていく。
いまや「クラスター cluster」は、ある場所で感染が連鎖的に拡大したことを指すようになった。英語の cluster には、ブドウなど果物の「房」や動植物が密集する「群れ・集団」という意味がある。天文学では星が密集する「星団」のことだ。これまで日本では、そこから派生して、共通の趣味などをもつ仲間が集うこと(「アニメクラスター」)や産業などの集積地(「航空宇宙クラスター」)の意味で使われることが多かった。しかし今後は、カタカナの「クラスター」をポジティブな意味で使うのは難しくなるかもしれない。
「ソーシャル・ディスタンス social distance」もすっかり定着した。人との距離をとり、接触を避けること。ぼくらはあらゆる場面で、それを意識するようになった。以前と同じ距離感で人と接する日が来ることが想像できないほど、日常的な身体感覚に刻まれつつある。英語圏では、distance に ing をつけて social distancing という表現が使われることが多い。身体的な距離をとるという意味で physical distancing も用いられる。
この social distance、そのまま日本語に訳すと「社会的距離」となる。社会的な距離って、どういうことなのか? カタカナの「ソーシャル・ディスタンス」が使われることが多いので、直訳すると逆に意味がとりづらい。「人との距離をとる」という意味なら、上記の physical distancing のほうがしっくりくる。外国の語彙がカタカナに置き換わると、もとの語義や直訳的な意味とは別に独自の意味を持つ「カタカナ言葉」として通用するようになるのだ。
もともと social distance は、社会学の概念として使われてきた。そこでは、人種や階級、性別、職業的地位などによって、人びとが惹かれ合ったり、反発したりする度合いを意味していた。似たような属性をもつ人が近い関係で集団をつくり、文化的差異や立場の違いが関係を遠ざけるといった社会的状況をあらわす言葉だ。ここでの distance には、当然、近い場合も、遠い場合も含まれる。さまざまな社会集団が生まれ、分断されている背後に、この人と人との「距離」がある。
私の専門とする文化人類学でも social distance は使われてきた。「プロクセミクスproxemics(近接空間学)」を体系づけたアメリカの文化人類学者エドワード・ホールは、人と人との空間的な距離のとり方について研究した。彼は、個人の空間では距離に応じて密接距離、個体距離、社会距離、公衆距離の4つの関係が使い分けられていると指摘している。そのうち3番目に遠いのが「社会距離 social distance」だ。およそ1.2メートルから3.7メートルに相当する。すぐには手が届かないくらい離れて、仕事上の付き合いや社交的な会話の場面で適切だと感じられる間合いである。いま日本で使われている「人と距離をとり飛沫を避ける」という距離感とも近い。
日本でさまざまな場面で使われる「ソーシャル social」という語句にも、複数の意味が含まれている。SNSは「ソーシャル・ネーットワーキング・サービス」の略称だ。ここでの「ソーシャル」には「社交・交流」という意味がある。「ソーシャル・ディスタンス」の social も、この人と人とが関わり合うという意味で理解するとわかりやすい。
ほかにも、医療や介護の現場で働く「ソーシャル・ワーカー」の「ソーシャル」は「社会福祉」という領域を示している。社会課題の解決に向けた取り組みといった意味で「ソーシャル・イノベーション(社会問題への革新的な解決法)」や「ソーシャル・アントレプレナー(社会的起業家)」という言葉もある。
このように「ソーシャル・ディスタンス」という日本であらたに使われはじめた言葉にはさまざまな意味の幅や来歴があることがわかる。social も、distance も、ごく簡単な英単語だ。だが、いずれも「社会的」「距離」といった訳語におさまらない意味の奥行きがある。
この1年あまり、大学の授業もほとんどがオンラインになった。学生の顔をみて話をするのは、もっぱらパソコンの画面ごしだ。講義では、学生側がカメラをオフにするので真っ暗な画面に向かって話をする。相手の反応がわからず話しつづける経験なんて、これまでほとんどなかった。一方、講演会や研究会などで遠く離れている人の話を家にいながら聴く機会も増えた。わざわざ交通費を払って都会に出ないといけなかったイベントにも気軽に参加できるようになった。
オンラインで人と接するのがあたりまえの時代になり、ぼくらの人との「距離」のとり方は大きく変わった。それは「社会」そのものが変化することを意味する。人と人とが関係をもち、つながりあって、この社会をつくりあげている。だとしたら、いま身近にいる人とどんな距離で接し、関係を深めるのか。これまで会えなかった遠くの人とオンラインでつながり、ときには国境を越えて交流する。そのとき、どんな人の話に耳を傾け、学び、発信するのか。あなたのその人とのつながり方が、これからの社会を、そして世界を変えていくはずだ。
文化人類学者
1975年、熊本生まれ。京都大学総合人間学部卒。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。岡山大学文学部准教授。エチオピアの農村や中東の都市でフィールドワークを続け、富の所有と分配、貧困や開発援助、海外出稼ぎなどについて研究。著書に『所有と分配の人類学』(世界思想社)、『うしろめたさの人類学』(ミシマ社)、『はみだしの人類学』(NHK出版)、『これからの大学』(春秋社)など、共編著に『文化人類学の思考法』(世界思想社)、『働くことの人類学』(黒鳥社)がある。