時代とともに新しく生まれ、変化していく「言葉」。グローバル言語として使われる英語には、日本ではまだまだ認識されていない言葉があります。その誕生には、どんな社会的・文化的背景があるのでしょうか。キニマンス塚本ニキさんに「生まれたばかりの英語」について解説いただき、一緒に「新しい概念」について考えてみましょう!

holding space(人がありのままに受け入れられ、守られるための場づくり)

●6年前に書き留めた言葉をたどる

去年の暮れ、引っ越しのために部屋の荷物の整理をしていた日のことです。クローゼットの奥から古い日記帳やノートがぎっしりと詰まった段ボール箱を引っ張り出しました。荷造り作業をほったらかしのまま、a trip down memory lane(思い出の小道を辿る旅)へと迷い込むこと数時間。ふと、あるノートの中の、特別に丁寧に書かれたこんな1行に目が止まりました。
“Practice holding space for myself.”

これを書いたのは2019年の夏、フィリピンのシャルガオ島で参加したヨガと瞑想のリトリート(癒しや内省を目的とした休暇・合宿)の最終日。そよそよと揺れるヤシの木の陰に建てられた半屋外のヨガ道場の床に他の参加者たちと車座で座り、それぞれが1週間の振り返りや今後の目標などをノートに書いて発表する時間でした。

おそらくリトリートで何度か耳にしたフレーズからインスピレーションを受けて書いたのでしょうが、この文脈で語られる「space」とは?
6年前の自分からのメッセージを読み解くために、その言葉の背景を改めて調べてみました。

ここ10年ほど前から英語圏のメンタルヘルスやケアの文脈で語られることが増えた「holding space」の由来は、イギリスの小児科医・精神科医ドナルド・ウィニコットが1960年に子どもの健全な発達のために不可欠な要素のひとつとして提唱した「holding environment」にあります。愛情と信頼関係が感じられる環境で子どもは安心して自我を発揮しながら精神的安定を保つことができ、他者からの批判や評価を恐れる必要がない環境が望ましいというウィニコットの学説は、日本語では「支持的環境」あるいは「抱える環境」と訳され、心理臨床学の研究でも引用されています。

それから50年以上の時を経て、holding space の概念とその重要性はあるブログをきっかけに徐々に一般社会に知られるようになりました。2015年にカナダ人作家のヘザー・プレットが年老いた母を看取りながらアンという終末期ケア専門士に支えられた体験(“Ann was holding space for us while we held space for Mom.”)を具体的に綴ったブログが大きな話題になり、一時期はアクセスが集中しすぎてサーバーがダウンしてしまったそうです。
このブログの中でプレットは、亡くなる間際の母親を支えてくれた終末期ケア専門士の姿を通し、holding space は次のような方法でできると説明しています。

  • 相手の知識や判断を尊重する
  • 必要以上に情報や助言を押し付けない
  • 相手の主体性を奪わない
  • 自分のエゴを持ち込まない
  • 失敗しても大丈夫だと思える場を作る
  • 相手をジャッジ(批判・判断)しない
  • 相手の努力が「不十分だ」と思わせない
  • 自分が正しいと思う結論に相手を導こうとしない
  • 相手がどんな感情も臆せず表現できる安全な空間を心がける

プレットの母親の終末期ケア専門士は、家族にとって必要な時間を母親と作れるよう、そっと脇に立ち、必要な時だけ静かに手を差し伸べていたのです。
私が参加したリトリートの先生たちも、ウェルネスの観点から参加者全員が自分や互いを認め、赦しあえる環境作りを意識してこの言葉をくり返していたのかもしれません。

ただ、holding space の概念が英語圏で一般常識になっているかというと、実はまだそうでもありません。これが明らかになったのは2024年のヒット映画『ウィキッド』の公開時、大手LGBTQメディアの記者が主演俳優のアリアナ・グランデとシンシア・エリヴォをインタビューした動画が拡散された時です。『ウィキッド』は小説『オズの魔法使い』の世界を舞台にし、数々の興行記録を塗り替えながら20年以上愛されてきたブロードウェイミュージカルの映画版です。主人公のエルファバは緑色の肌を持って生まれたため、異端者として差別を受けながら育ちますが、オズの腐敗政治に抵抗し、やがて西の魔女となる姿が描かれています。排斥の対象であるマイノリティが社会の同調圧力や独裁に屈せず、自由を手に入れるストーリーは、『オズの魔法使い』と同じく長年の間クィア・コミュニティから圧倒的な支持を集めてきました。

前述の記者は映画のクライマックスで歌われる ‘Defying Gravity’ (邦題:「自由を求めて」)を取り上げ、「クィアな人たちはあの曲の歌詞で holding space しながら勇気をもらっています」(“people are taking the lyrics of ‘Defying Gravity’ and really holding space and feeling power in that”)と、主演の二人に伝えました。“I’m through with playing by the rules of someone else’s game(誰かが決めたルールにはもう従わない)” などと、抑圧を跳ね返す歌詞にクィアの人々が勇気付け合っている、という意図の発言だったと考えられますが、真摯に応えようとしながらも、聞き慣れない言葉の意味を完全に理解できていない二人のぎこちない様子が動画で拡散され、holding space の意味についてさまざまな意見がネットで広がりました。

「記者がセラピー・スピーク(心理学用語を専門家ではない人が日常会話の中で使うこと、therapy speak)しようとしてスベッた」と嘲笑する声もありましたが、映画の公開が性の多様性を否定するトランプ大統領の再当選と重なったことから、今後の自分たちの権利や安全を危惧するセクシャルマイノリティの人々が『ウィキッド』のストーリーと歌詞に自分たちを重ねて支え合う環境は確実に必要とされているように感じます。

holding space は今でも英語圏社会に少しずつ浸透しながら進化を続けている言葉ですが、私なりにその意味を考えると、相手の言動や、相手が抱えている問題の良し悪しを評価しようとせず、すぐに結論へ導こうともせず、批判や否定もせず、自分や相手のありのままの表現や感情に心を開きながら傾聴することだと思います。言うのは簡単だけど、実践するのはなかなか難しいことです。

holding space の逆として、話の流れをコントロールしようとしたり、結論を急ごうとしたりすることを “hijacking space” と言うそうです。過去に友人の悩みを聞きながら「わかるわかる、私もね…」とうっかり話を奪ってしまったり、相手の気持ちを「そんなことないよ」と否定したり、求められていないアドバイスをしてしまったりと、良かれと思って話の場をハイジャックしていた自覚がある私は耳が痛くなりました。

それでも、6年前に常夏の島で私が記した言葉には「他人が必要とするケアを施せるように、まずはありのままの自分を受け入れてケアすることから練習しよう」という願いがあったはず。自分にとっても他者にとっても、心地良く安全な「場」を提供できるマインドとコミュニケーションとはどんなものなのか。今後も探求を続けていきたいと思います。