世界中で報道されるニュースを、英語で読んでみたくありませんか?

このコラムでは、旬なニュースを写真で紹介し、そのテーマについて解説しながら、英語でニュースを読む手助けになるように関連する単語や表現を取り上げます。環境問題やジェンダー平等など、世界中が抱える課題に触れながら、英語学習にお役立てください!

リプロダクティブ・ライツ ― 「個人の選択」と「社会の存続」の狭間で

テキサス州議会議事堂でこの日、州知事が妊娠6週間以降の中絶を禁止する法律に署名したことに抗議するテキサス大学の女性たち。女性(左手前)のプラカードには「身体的自立は基本的な権利だ」と書かれている。2021年9月1日、テキサス州オースティン、アメリカ合衆国。(ZUMA Press / アフロ)

みなさんは reproductive rights という英語を目にしたことがありますか?「生殖に関する権利」と呼ばれるもので、自分の身体に関することを自分自身で選択し、決められる権利のことです。その中には女性自身が「子を産むか産まないか、またいつ何人産むか」を決める権利も含まれます。形容詞 reproductive には「生殖に関する」という意味があり、名詞は reproduction「生殖・繁殖」です。

Reproductive rights は、1994年にエジプトのカイロで開催された国際人口・開発会議で、reproductive health「生殖に関する健康」とともに定義されました。二つを合わせてreproductive health / rights「性と生殖に関する健康と権利」と表記されることもあります。

自分の未来は自分で決めるという right to self-determination「自己決定権」が、子を産むかどうかの選択にまで及んだものが reproductive rights だといえます。ここで大きな論争になっているのが、女性が abortion「(妊娠)中絶」やその他の birth control「受胎調節」を行う権利です。

アメリカでは過去何十年にも渡って、人工中絶の是非をめぐる対立が保守とリベラルの間で先鋭化しています。最近の例としては、テキサス州で昨年9月1日に、妊娠6週目以降の中絶を禁止する州法が施行されたことが挙げられるでしょう。多くの女性は妊娠6週目では妊娠を自覚しないため実質的に中絶は不可能になることから、人権団体などが連邦最高裁に差し止めを求めましたが、保守派判事が多数を占める最高裁はその請求を退けました。Heart Beat Act「ハートビート(心臓音)法」と呼ばれるこの法律は、Texas abortion lawTexas abortion ban などのフレーズとともにメディアで大きく取り上げられました。

Reproductive rights は、社会における宗教的・倫理的価値観や、人権をめぐる社会の成熟度によっても扱いが大きく異なります。日本は国際社会の一員として、reproductive rights 向上のための取り組みを続けています。かつて日本には、Eugenic Protection Act「優生保護法」というものがありました。しかし優生思想に基づく障がいのある人たちへの差別が指摘されたことから、1996年には強制不妊手術などの項目を削除し、Maternal Protection Act「母体保護法」と改めました。

ただ、日本にはまだまだ paternity「父であること・父系」を中心とする制度が存在しています。伝統的な考えでは、子を産み育てる役割を担うのが女性、これを養い社会を発展させる役割を担うのが男性、といったところでしょう。このような考え方は gender role「性別による役割」と呼ばれ、国際的にも前時代的なものとして扱われています。

こうした中で4月から始まる fertility treatment「不妊治療」への保険適用は、reproductive rights の観点からも注目すべき政策です。子を産む選択をした夫婦やカップルに対する経済的負担の軽減になるからです。fertile は「肥沃な・生殖力のある」という形容詞で、これに否定の接頭辞 in- が結びついて infertile「不妊の・生殖力のない」となります。この名詞形が infertility「不妊」です。infertility treatment としても構いませんが、多くの場合、fertility treatment で「不妊治療」を指します。

日本の社会が存続していく上での最大の問題は、深刻な declining birthrate「低下する出生率」、つまり少子化問題です。その対策は子を産む選択をした人々に対する支援が中心となっています。しかし、reproductive rights のもう一方の「子を産まない」選択を行う人々に対して、国は安心して子を産むことができる将来ビジョンを提示できているでしょうか? 逆に、個人の選択や自己責任として看過していないでしょうか?

少子化問題とは、「子を産むか産まないか」の選択の問題であると同時に、子どもを育てる経済力がない人々が出産をあきらめてしまうことの結果という側面もあります。その意味では、出産費用への公的補助の充実、保育園の整備、あるいは未婚の女性にも不妊治療への支援のすそ野を広げることは、大いに安心につながるでしょう。また、男性が本当に意味のある育児休暇を取れるよう、行政と企業社会が連携することも重要です。

こうした施策が不十分であるにもかかわらず、「子を産む」選択をした人々だけに支援を行うことが、「子を産まない」選択をした人たちとの分断を広げてしまうこともあります。象徴的だったのが、昨年末の政府による子育て世帯への10万円給付です。このような「現金給付」は cash handout と呼ばれます。handout には行政が支出する「給付金」や「補助金」の意味があります。

18歳までの子育てを終えて支給対象から外れた世帯を別としても、この政策に対しては子を持たない多くの国民から批判や疑問の声が上がりました。筆者がこうした声から感じたのは、少子化の写し鏡として、経済的な理由から子を持つことをあきらめている若い世代が、想像をはるかに超える速さで増え続けているのではないかということです。

著者の紹介
内藤陽介
翻訳者・英字紙The Japan Times元報道部長
京都大学法学部、大阪外国語大学(現・大阪大学)英語学科卒。外大時代に米国ウィスコンシン州立大に留学。ジャパンタイムズ記者として環境省・日銀・財務省・外務省・官邸などを歴任後、ニュースデスクに。英文ニュースの経験は20年を超える。現在は翻訳を中心に、NHK英語語学番組のコンテンツ制作や他のメディアに執筆も行う。