リアルな英語表現が満載の映画のセリフ。こんなふうに言えたらいいな、というフレーズを字幕翻訳者の岩辺いずみさんがピックアップして映画の内容とともにご紹介します。

Have I made a mistake?

こんにちは。映像翻訳者の岩辺いずみです。映画やドラマのセリフを翻訳して、字幕にする仕事をしています。ネイティブならではの生きた英語や素敵なセリフに、たくさん触れられることが、この仕事のだいご味の1つです。記念すべき初回にご紹介するのは、私が字幕を担当した映画『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』のセリフです。

題名になっているルイス・ウェインは、19世紀末から20世紀にかけてイギリスで大活躍した実在のイラストレーターです。当時のイギリス社会では、ペットと言えば犬がお約束。猫はネズミ退治用として軽く見られるか、魔女の手下のような不吉なイメージで見られていました。そんな時代に、ルイスは猫のかわいらしさ、面白さに気づき、生き生きとユーモラスに描いて人気を集め、“猫画家”として知られるようになります。彼の絵のおかげで、イギリス社会における猫の地位は急上昇し、愛される存在になりました。夏目漱石の『吾輩は猫である』に出てくる猫の絵ハガキも、ルイスが描いたものだと言われています。

たくさんの猫の絵を残したルイスですが、その人生は波乱に満ちたものでした。ロンドンの上流階級に生まれ、好気心旺盛で根っからのアーティストで自由人。それなのに、亡くなった父親の代わりに一家の大黒柱として、母親と5人の妹たちを養う重圧に苦しみます。そんな中、ルイスは妹たちの住み込み家庭教師エミリーに恋をします。

実はルイスには生まれつき唇に亀裂があり、それをヒゲで隠しています。だけど、大好きなエミリーにありのままの姿を見せたいと、そのヒゲを剃り落とすのです。決死の覚悟でエミリーの前に現れたルイス。ところが彼女の反応は、拍子抜けするものでした。

ルイス: But you cannot have failed to observe that I have quite a
profound harelip.
(字幕) 見えてるはずだ
     僕の口唇裂は かなり深い

ルイスは ”cannot have failed to observe”(見逃すことなどできるはずがない)と念押ししたところ、エミリーは次のように反応します。

エミリー: What of it, Mr. Wain?
(字幕) それが何か?

予想外の言葉に、ルイスは思わず聞き返します。

ルイス: Sorry. Have I made a mistake?
(字幕) 見落としてないか?

エミリーの What of it? は、相手の言ったこと(したこと)に対して、それのどこが重要なのか、または問題なのか聞く時に使うフレーズで、「そんなものは大したことない」という反語的な意味合いが含まれます。So what? と同じようなニュアンスです。
一方のルイスのセリフですが、直訳すると「ごめんなさい。私が間違えましたか?」。このやり取りだけを見ると、かみ合っていない感じもしますね。ルイスはエミリーの反応があまりにも予想外だったため、自分が聞き間違えたのではないかと聞いているのです。ちゃんと唇の亀裂を見たのかと聞けばよさそうなものを、自分の聞き間違いとして遠回しに聞くところが、いかにも教育を受けた gentleman(紳士)らしい言い方です。ただ、使い方によっては嫌みっぽくなりかねません。素直なルイスが言うからこそ、相手への気遣いと礼儀が感じられて、育ちのよさが伝わるセリフになっています。

映画の字幕にはセリフの長さによって字数制限があります。1秒4文字で計算して、セリフの長さが4秒なら16文字。字幕は画面に出すごとに1枚、2枚…と数えますが、1枚につき横書きだと13~14文字×2行、縦書きだと10~11文字×2行と決まっています。配信などの媒体や作品によっては、もう少し多めに入れる場合もあります。そのため、直訳ではセリフの意図が伝わらないこともあるのです。今回のセリフも直訳では伝わりにくいと判断し、前後の流れに合わせて上記の字幕にしました。
さて、これに対して、エミリーはしれっと答えます。

エミリー: No, I think you look very handsome.
(字幕) いえ ハンサムですよ

こんなことを言われたら、ますます好きになってしまいますね。これをきっかけに、ルイスも一気に心を開き、もうエミリーしか目に入りません!

ところで、この handsome ですが、訳し方が意外と悩ましいんです。今回は時代性もあり、そのまま「ハンサム」にしましたが、今どきなら「イケメン」? それも古くなりつつあります。言葉は日々変わるので、日常で使われる単語ほど訳しにくかったりするものです。皆さんなら、どんな訳語をあてますか?

ルイスを演じるのは、イギリスを代表する人気俳優ベネディクト・カンバーバッチ(『SHERLOCK シャーロック』『パワー・オブ・ザ・ドッグ』)、エミリー役は人気急上昇のクレア・フォイ(『ザ・クラウン』)。2人の恋は階級の違いや、エミリーが年上であることから、周りから猛反対されます。それでも愛を貫こうとする2人。世間から変わり者と見られている不器用なルイスとエミリーが、ぎこちなく愛を深めていく様子は、ほほ笑ましいけれど危なっかしい。つい応援したくなるでしょう。

他にも実力派として一目置かれるオリヴィア・コールマン(『ファーザー』)がナレーションをするなど、イギリスを代表する俳優たちが数多く登場する本作。時代の異端児ルイス・ウェインの半生を、エミリーへの愛と猫との関わりを軸に、美しい映像で描きます。イギリスらしいユーモアのあるセリフも多いので、ぜひ耳を澄ませて聞いてみてください。彼が描いた猫のイラストも、たくさん登場します。思わずクスッと笑ってしまうユニークな猫たちは、一度見たら忘れられません。そうそう、ルイスの電気や猫に対する考え方も面白いのです(原題は『The Electrical Life of Louis Wain』、ルイス・ウェインの電気人生)。猫好きはもちろん、そうでない方にも、ぜひ観ていただきたい映画です。

作品情報
『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』

監督:ウィル・シャープ
出演:ベネディクト・カンバーバッチ、クレア・フォイ、ほか
全国の映画館にて公開中
公式サイト